みなさん、にふぇーでーびる。
明日3月16日から与那国島とか波照間島とか行く予定なので、3月15日はその準備で
自転車はほとんど乗らない一日です。
こういう日は良い天気なんだな。

道の駅とよさきで起床。
テントから出てがっかり、雨が降ってました。
昨夜の夜に見た天気予報だと曇りだったんだけど、改めて調べると終日雨。
本当に沖縄の天気は変わりやすいなあ。
ちょっと気勢を削がれた感じで、テント撤収してからも今後どうしようか考えてしまいました。
近くにネットカフェあるから引きこもろうかとか。
まあ雨の勢いは弱いので先に進むことにして、8時過ぎに出発。
しとしと雨の中を粛々と走ります。

糸満警察署の前を通ると、エイヤーエイヤーと気合いが聞こえるので何かと思ったら、
警察署の2Fで朝も早くから剣道や柔道の稽古してました。
さすが空手発祥のお国柄。

朝ごはんはファミマのじゅーしセット。
コロッケ付きで200円はうれしい。
本日最初の観光は具志川城跡。
平日ということもあるんでしょうが、人里離れ観光客の姿もなくうら寂しい感じがします。

整備はされてますが観光地化はされておらず、まさに廃城という出で立ち。
とても風情のある城跡です。
小さいのであまり見て回るところはありませんが、ばっちり復元されている城跡よりも
時の流れを想像できて好きです。

周囲は険しい岩壁。
写真左下の洞窟は城からの抜け道が繋がっているのかも知れない。

あっさり見終わりましたが、結構満足しました。
次は沖縄本島最南端の喜屋武岬へ向かいます。
ここから先は少しの間、未舗装路が続く。
喜屋武岬到着。
これで沖縄本島の最南端到達です。
最北端の辺戸岬、最西端の那覇空港、最南端の喜屋武岬と3つまで到達したんですが、
やんばるで県道70号をばっくれたため、最東端は未到達となってしまいました。
最東端はどこかはっきりせず、特にスポットもないようなので後悔はない。

平和の塔。
太平洋戦争の沖縄戦では米軍に追い詰められた人々がここから身を投げたという。
この後のひめゆり平和祈念資料館で知ったんですが、沖縄戦は主に那覇以南行われて
喜屋武岬以外にもいたるところでこういった悲劇があったそうです。
ここで何人の命が散っていったことか。
なんてこの時は知らずに海を見ていました。
おそらく写真の岬が沖縄本島の真の最南端、荒崎と思われます。
道ないらしいので行く気はない。

絶壁には付き物のこういうの見るとここでも投身とかあるのかなとか考えて、
少しテンション下がってしまう。

喜屋武岬灯台は遠くから見物。
岬周辺はかなり強い風が吹いていたんですが、その中で作業する人尊敬。

ひめゆりの塔を目指して進む途中で、山羊発見。
まだ沖縄で山羊料理食べてないな、と思い出す。

ひめゆりの塔に到着。

入り口で何となく購入した献花(200円)を捧げる。
ひめゆりの塔については、沖縄戦で追い詰められた女生徒が集団自決したんだっけという
程度の漠然とした知識しかなかったので、勉強のため有料の資料館に入りました。
資料館ではひめゆり学徒生を中心に、沖縄戦がいかに悲惨な戦いだったかがとても
分かりやすく説明されていました。
ゆめゆり学徒生は地獄のような環境に放り込まれ、その多くが無情に死んでいきました。
生き残った生徒や教師の証言や体験談も映像や活字で残されていて、当時の状況が
生々しく伝わってきます。
個人的に特に憤りを感じたのは、本土決戦を遅らせるためだけに沖縄を捨て石にする
沖縄戦を行った旧日本軍(遅らせても何の勝算もないのに)、司令本部があった
首里城が陥落した際に民間人が避難していた沖縄本島南部に撤退し、民間人を戦闘に
巻き込んだ司令部、沖縄戦線が限界に来たときに降伏を禁じた上で学徒隊に解散命令を
出した司令官(結果的に戦場に放り出した)、の3点。
ひめゆり学徒生の犠牲者の80%は、解散命令が出た一週間以内に死亡したそうです。
ひめゆり学徒以外にも多くの学徒召集があり、皆同じ運命を辿っています。
国民を守るために国があるべきであって、国を守るために国民(民間人)を
計算づくで犠牲にした沖縄戦は最低の戦いだと思います。
戦争根絶が一番ですが、仮に戦争が根絶不可能な必要悪だとしても、こういう戦いは
二度と起きちゃならんと思いました。
資料館を出て、改めてひめゆりの塔に合掌しました。

沖縄平和祈念公園にもやってまいりました。

平和祈念資料館でも再学習。
沖縄戦の日本側犠牲者は188,136人、うち民間人が94,000人。
半数が民間人て。
この資料館では戦後の沖縄についても学ぶことができます。
平和祈念公園では多数の修学旅行生と遭遇。
若いうちに歴史を勉強するのは良いことだとは思うけど、騒がしさに負けて
観光はそこそこに撤退。
平和祈念公園を出て走っていても、慰霊碑が至るところにありました。
沖縄といえば綺麗な海と泡盛とグルメしか連想しなかったけど、戦場だったことを
忘れちゃいかんですね。
その後は天ぷら屋で有名な奥武島に来ました。
が、調べていた店が定休日。
旅あるあるですが、ここを昼飯にしようと思ってたのでがっかり。
島の入り口に行列が出来ていた天ぷら屋さんもあったんだけど、営業終了時間の15時間際
だったので諦めて、島一周してから奥武島を去りました。
島一周10分くらいかな。

奥武島には猫も多いらしいので猫好きの方もどうぞ。
沖縄本島南部は坂が多くて困ります。
奥武島にも坂を降りて向かったので、島を去るときには登坂。
そして次の目的、斎場御嶽へも坂の連続。
テビチが限界近くなってきて来たころに、斎場御嶽に到着。
と思ったらここは案内センターみたいなところでした。
隣に発券場があるのでそこでチケットを購入して、歩いて10分ほど進むと斎場御嶽があります。

センター中では写真と映像で斎場御嶽の説明を行っており勉強になります。
映像が長いので途中で寝落ちしそうになったけど。

今度こそ沖縄最大の霊域、斎場御嶽到着。
まずは久高島遥拝所。
ガムテの下が気になるなあ。

うっすら見えるのが、多分久高島。

琉球の自然に囲まれた山道を進みます。
整備されてるけど、滑りやすい石畳なので要注意。
イモリ登場。

これは沖縄戦の艦砲射撃の跡だそうです。
鉄の雨と呼ばれるくらい、艦砲射撃があったそう。

2つの鍾乳石から落ちる聖水を受けるシキヨダユルとアマダユルの壺。

この三角形の隙間は有名な構図ですね。
隙間自体には名前はないみたい。

三角形の隙間の先からも久高島を臨むスポットがあります。
ニライカナイはその先にあるはず。
斎場御嶽は聖地っぽい雰囲気あって、とても良かったです。
特に三角形の隙間の巨石には圧倒されます。
雨の斎場御嶽もしっとりしていて満足。

案内センターに戻ると猫がサーターアンダギーをじゃれるように食べてました。
さすが琉球猫、実家の猫は多分サーターアンダギー食べないな。

お土産売り場で試食でお腹を満たしていると、店員のおばちゃんからウコン梅と純黒糖を
薦められました。
試食したら美味しかったので、購入。
どっちも補給食にいいんじゃないかな。
純黒糖は甘いだけじゃなくて複雑な酸味もあって飽きない。
これでお腹を誤魔化して、先に進みます。
本当は沖縄市突入を目指していたんだけど日が暮れてきたし脚もしんどいので、諦めて
中頭郡西原町のネットカフェに落ち着くことにしました。
12時間パックで1,500円と結構格安。
ちょっとブログ更新して、血界戦線全十巻を読破しておやすみなさい。
んじゃ!
走行距離 55.04km
出発地点 道の駅とよさき
到着地点 ネットカフェ コミックバスター西原店
にほんブログ村のランキングに参加しています。
下のバナーをポチっとしていたければ、幸いです。